No.004 2026.06.18 🥄 思想

🥄 3本の金のカトラリーが、僕の投資を作った

— a small philosophy —

本2冊と、菊紋のついた3本の金のカトラリー。淡いパステルカラーの背景に並ぶ、ある思想の遺伝子
3本だけ取っておいた、金のカトラリー。📿

第一章 引き出しの中の小さな金 🥄

ある日、引き出しの奥から3本の金のカトラリーが出てきた。🌟

スプーンが1本、フォークが2本。柄の先には菊の花がぽつんとあしらわれて、ちいさく光っていた。子どものころから、ずっとそこにあった気がする。誰のものでもなく、家のもの、として。

父が、ある会社の取引先からもらったものらしい。1981年、松下幸之助さんが、人生でいちばん大きな勲章を受けたとき。そのお祝いとして、関わってきた人たちみんなに配られたものなのだという。父は、そのうちの一人だった。🍀

最初は、たくさんあった。長い時間のうちに、ひとつ、ふたつと数が減って——気がついたら、僕の手元には3本だけが残った。捨てたわけじゃない。3本だけ、なんとなく取っておいた。それが、いまも引き出しの中にいる。

✦ ✦ ✦

第二章 松下さんの家の子だった頃 📚

うちは、ナショナル製品を扱う卸の家だった。🏠

父の仕事は、町の電器屋さんへ品物を届けること。家にはいつも、白い箱に入った松下の家電がならんでいた。テレビも、冷蔵庫も、扇風機も、なにもかも松下だった。「松下のものを使うのが、いちばん安心」——父は、そう信じきっていた。

本棚にも、松下さんの本がならんでいた。『道をひらく』、『商売心得帖』、『社員心得帖』。子どもの僕は、よくわからないまま、なんとなくページをめくっていた。

その本の中で、松下さんは何度もこう書いていた。

「物と心は、ひとつ。物だけ豊かでも、心だけ豊かでも、人は本当には満ち足りない」

これを「物心一如(ぶっしんいちにょ)」という、と父が教えてくれた。難しい言葉だ。でも、家にならんだ白い箱と、その箱を扱う父の丁寧な手つきが、ぜんぶ「物心一如」だったのだと、いまになって思う。🌷

✦ ✦ ✦

第三章 もう一冊の本のこと 🌎

松下さんの本のとなりには、もう一冊、よく読まれた本があった。🍂

D・カーネギーの『人を動かす』。1936年に書かれた本。世界で3000万部、日本でも500万部。90年経っても、まだ売れている本

子どもの僕には、たぶんちゃんとは読めていなかった。でも、本の中で繰り返し書かれていたことだけは、ふしぎと耳に残っていた。「相手の名前を呼びなさい」「相手の話を、ちゃんと最後まで聞きなさい」「相手の大切にしていることを、軽く扱ってはいけない」。

大人になって、いろんな仕事や場面でこの本のことを思い出した。そのたびに思ったのは——90年前のアメリカの本が、いまの日本でもそのまま使える、ということ。場所も時代も超えて、変わらないものがある。

そういう本を「普遍的な本」と呼ぶのだと、いつかどこかで習った気がする。

松下さんの本も、カーネギーの本も、生まれた国も、立場も、ぜんぜん違う人が書いた。それなのに、書かれていることのいちばん大事なところは、同じ場所を向いていた。「人を、物として扱わない」「関係を、ぞんざいにしない」「目先の損得で、つながりを切らない」。🌟

東と西の、まったく別の人が、同じ場所にたどりついていた。それがなんとなく嬉しくて、子どもながらに、よく覚えていた。

✦ ✦ ✦

第四章 数字じゃない、関係の話 💌

大人になって、僕も少しずつ投資を覚えていった。📈

はじめは、ふつうの人と同じ。「これが上がりそう」「これは下がりそう」と、株価のチャートばかり見ていた時期もあった。でも、不思議と——長く持っている株ほど、結果がよかった。売ったり買ったりした株よりも、ずっと、ずっと。

あるとき、気がついた。僕が手放さなかった会社は、たいてい、父が品物を扱っていた業界の会社だった。家電、自動車、商社、銀行、保険。子どものころ、家のなかでなんとなく耳にしていた、なじみのある名前ばかり。

「この会社が、ちゃんと続いてくれている」と思うと、株価が下がっても、あまり怖くなかった。むしろ、配当が届いたり、優待が届いたりすると、なんだか遠くの親戚から手紙が来たような気持ちになった。💌

気づいたら、僕はもう、投資を「お金を増やす行為」として見ていなかった。会社と、長く付き合うこと。関係を、ぞんざいに切らないこと。配当も、優待も、株主総会の招集通知も、ぜんぶ「縁が続いている証拠」として受け取っていた。

投資は、関係を続ける行為だった。
松下さんの本にもカーネギーの本にも、
そう書いてあった気がする。🌷

✦ ✦ ✦

第五章 10年経っても届く手紙 ✉️

うちには、まだ「ナショナル」名義の取引口座が残っている。📮

父の代から続く、卸の口座。僕の代になって、もう10年以上、その口座でなにかを買ったり売ったりしていない。普通なら、もうとっくに整理されている口座のはずだ。

それなのに、いまでも時々、DMが届く。新しい商品の案内。季節のあいさつ。新しい技術の話。10年取引のない口座にも、向こうからは「さよなら」を言わない

これに気づいたとき、僕は少し、胸が熱くなった。🥹

1989年に松下さんが亡くなって、もう何十年も経つ。それでも、会社のどこかに、あの「物心一如」の遺伝子が、ちゃんと生き残っている。関係を、向こうから切らない。短いコストカットの判断より、長いつながりを、まだ大切にしてくれている。

うちの3本の金のカトラリーは、その遺伝子の物理的な証拠だ。1981年に配られたものが、いまも引き出しのなかで光っている。配った人の精神も、まだ会社のなかで光っている。

✦ ✦ ✦

終章 パン屋さんに、会いに行く 🥐

長く持っている株の中に、あんまり調子のよくない会社もある。😅

株価は何年も低空飛行で、含み損のままで、世間からの評判もあまりよろしくない。それでも、その会社の社長さんが、面白おかしく文句を言いながらも、なにかを続けてくれている。優待を、いまも届けてくれる。商品を、いまも作ってくれる。

調べてみたら、社長さんの実家は、小さなパン屋さんをやっているらしい。🥐

そのうち、行ってみようと思っている。パンを買って、ひとくちかじって、「ああ、この遺伝子から、あの会社が生まれたのか」と、ちょっとだけ感じてみたい。たぶん、そういうのを「ぞんざいに切らない」と言うのだろう。

株を持っているから、というよりも——同じ場所で生きている縁を、ちゃんと自分の足で確かめに行きたい、というだけのこと。🌟

✦ ✦ ✦

3本の金のカトラリーは、たぶん金属としての価値はそれほどでもない。骨董市場に出しても、たいしたお金にはならない。それでも、僕はぜったいに売らない。

これは、僕の投資哲学の遺伝子の物理的な保管庫なのだ。

1981年の松下さんから、父へ。父から、子どもの僕へ。子どもの僕から、本棚と引き出しを通って、いまの僕へ。そして——もしかしたら、これを読んでくれたあなたへも、ちいさく届くかもしれない。

物と心は、ひとつ。
関係は、ぞんざいに切らない。
普遍は、ちゃんと普遍。🌷

3本の金のカトラリーが、僕の投資を、つくった。

※この記事は、ある夕方に引き出しを開けたところから生まれました。
本にも、引き出しにも、すこしずつ、思想の遺伝子は残ります。

A MIKOLAB PRODUCTION 🎬

🎟️ TOPへもどる